片岡涼くんのお母様より(受験英語コース&サマープログラム+プライベート)

中学からリンクスで英語を習い始めた息子が高校生の時、夏休みの短期留学に参加しました。学校の留学プログラムでは日本人の団体旅行になると思ったので、安心して英語を学べるリンクスのサマープログラムに参加させました。

日本人が少なく、初めは友達を作るのに苦労したそうですが、授業や観光など一緒に過ごすうちに多くの国々の仲間ができました。一人で行かせることに不安もありましたが、短期とはいえ自信をつけて帰ってきました。リンクスで留学させて本当に良かったです。大学生になった今も、リンクスで英語の勉強を続けています。

岩崎仁希さんより(高校・大学留学)

当時高校生の私はエスカレーター式に大学に行くことに疑問を持ち、思い切って海外留学を決心しました。リンクスアカデミーでは私にあった対策を熱心にしていただき、シアトルのカレッジでしっかり勉学に励み、高校と短大の卒業資格を得て、インディアナ大学ビジネススクール(Kelly)に編入することができました。卒業して帰国後の現在、都内の外資系企業で働いています。出会いから成長まで、これもリンクスアカデミーのおかげだと感謝しています。

岩崎ゆ美子さんより

リンクスアカデミーの一歩踏み込んだ対応のおかげで、しっかりしたインターナショナルプログラムのある学校に娘二人は留学できました。リンクスがなければどうすることもできなかったでしょう。小学生の次男もリンクスアカデミーに通わせることにしました。

柳晋太朗さん

たまたま2004年リンクス主催のセミナー『英語とロゴス』に参加したことがきっかけで、リンクスで英語を勉強することにしました。大学生活がなんとなく物足りなくなっていた大学2年の時です。自宅からリンクスまで片道1時間半ですが、リンクスには大学にないおもしろい英語教育があり、アットホームな雰囲気が好きで、大学とリンクスに通い続けました。

学生時代はアルバイトをしながらお金を貯め、休みはカナダ、アイルランド、ニュージーランドと語学留学をしました。日本語でも英語であっても自分の考えを伝えることは容易ではない。だからこそ常にお互いを尊重する気持ちを持って人と接することが必要であることをリンクスに通っているうちに気づきました。大学卒業後もやはりリンクスに通い続け、IELETS/TOEFLの勉強をして留学準備。イギリスのEast Anglia 大学の大学院(修士)で国際関係論を学んだあとは、EUの本部であるベルギーでインターンをして、環境問題に取り組みました。リンクスで、自分の人生が変わってしまいました。

小林円さんより

リンクスアカデミーにお世話になり2012年の春から留学をしております。渡米にあたり、何も分からない息子を始め、私達家族の為に家族さながら親身に、そして本当に今も尚、呉先生には大変お世話になっております。

息子は附属の大学には進学せずに留学を選択しました。決して、語学が堪能とは言えない息子。留学どころか、渡米するにも沢山の不安を抱えていました。何度も折角、呉先生が調べてくださった学校に息子は色々な注文を付けてはもっと別の学校を探はないですか?と、大変先生を困らせ手こずらせた、稀に見る注文の多いワガママな生徒だった事と思います。息子を送り出すまで一番、気が気でなかったのは私達家族より、呉先生だったのではないか、と言っても過言でない程にお世話になりました。そんな息子に気長に根気よく最後までアドバイス、そして愛情を沢山掛けて見守ってくださいました。

サンディエゴの語学学校からスタートした息子を待ち受けていた壁は取り分け厚く、高いものでした。予想通り、まず言葉の通じない中で毎日生きる為に必死だったそうです。

幼少期からずっと続けていた野球をコミュニケーションの手段としてチームを探していましたが色々な方からの紹介の当ても外れ、1ヶ月が経ち半ば諦めていたいたある日、息子は誰に相談する事もせず驚く行動にでたのです。人の集まるスーパーマーケットに行き、野球をチームを紹介して欲しいと片っ端から自分の携帯番号を配り歩いたのです。母国でさえ、これ程にも個人情報がやかましくいわれる中、異国で自分の携帯番号を配る?私達親もこれには度肝を抜かれました。そして待つこと数週間、息子の携帯に連絡が入り、ようやくチーム見学にこぎ着けたのです。この時点では誰も息子がこんな行動に出た事を知る予知もありませんでした。そして、トライアウトを受け、私達が知ったのは、日本で野球塾をされている方がホームページで息子の名前をみつけ、知らせてくれたことで初めて知ったのです。息子がトライアウトを受けたチームは野球の技術のみならず、なんと、何故アメリカで野球をやりたいのか、将来の夢は何か?などなど自分の考えをしっかり持ち、そして言葉で表現出来る事が必要不可欠と言う条件付きだった様です。勿論息子の努力もありましが、先に申した様に、語学が堪能では無かった息子は野球をやりたい一心でたどたどしい英語でアピールしたのでしょう。運良く憧れのチームにパスする事が出来ました。そして、大好きな野球を武器に息子は英語を楽しく習得して行ったのです。

大好きな野球の季節、夏も終わる頃、息子はいよいよ大学の寮に入る為にカンザス・シティに引越しをしました。 日本では考えられない程のスピードで進んで行く授業、そして莫大な宿題に加え予習。私達、親には想像すら出来ません。しかし、そんな大変な中でも息子は『楽しい』と、ハッキリ電話口で言い切っていました。まだ入学式も済んでいないのに、経済貿易を選択した息子に刑務所で『アフリカの水の供給』についての講義が課せられました。まだ言葉もままならない息子にとっては気の遠くなる下調べが直ぐに必要とされているようです。アメリカの大学では判断力、分析力、決断力がとても重要視されている為か、日本の大学では考えられない様な授業や自ら学ぶ場が提案される様です。

この4ヶ月で息子が経験した事はまだまだ沢山ありますが、そのひとつひとつがとても貴重かつ彼の生涯の財産となる事と信じています。この財産が根っことなり、これからの経験や努力を肥やしとして、数年後、青々とした葉を付けた樹に成長する事と願ってやみません。『好きな事に一生懸命になれるのは当たり前、嫌いな事に一生懸命になる自分でいたい』自ら常に課題を見つけ異国で懸命に学ぶ息子は我が子ながら敬意に値します。何度でも起き上がって、立ち向かう息子を見守り続けて行きたいと思っています。きっと、きっと大丈夫とまず親が信じてあげていたい。日本の大学に進学していたら、こんな苦労はしなかったでしょう。しかし、苦労をかって出たからこそ、苦労と引き替えに日本の学生が掴めない沢山の経験と言う財産を手に入れる事が出来ているのだと思います。思い切って息子の背中を押して良かった。そして、何より、涙もろい情の厚いリンクスアカデミー、呉 春美先生と出逢えた事に心から感謝をしています。

可愛い子には旅をさせろ、ホントでした。